2015年03月17日

明治時代

明治29年(1896)
○淺野総一郎は世界的な海運業を志して明治29年49歳で東洋汽船会社を創立した。外国航路は国家的なものであるので、苦痛を忍んで経営を持続しなければならない。国家経済のためには損得は問題外であると考えた。欧州戦争の結果独逸より獲得した賠償船で、日本においては優秀巨船であるが、日本郵船が引き受けを拒絶したため、政府はその処置に窮していた。そこで淺野は海運界不振の折ではあるが、国家の体面から、進んで大洋丸の運行を引受けたのであった。
(「淺野総一郎」 片山春帆画・佐藤名川書 1924 1枚)

明治44年(1911)
○独逸は敗戦で、戦前所有の大船巨船はあげて獨潜水艦の沈めた連合国商船の賠償として没収された。しかし元来負ん気の強い独逸人であるので、平和回復以来今や既に大船隊しかも新造精鋭を擁するに至った。ハンブルグ自由港の造船所で大きなものでも13工場がある。明治44年8月、大洋丸を建造したブローム・ウント・フォスという有名な大造船所が、ハンブルグ、アルトナ両市境界辺のエルベ対岸にある。
(「欧米の港と腰弁の視た国々」 丸善 1928 p491 渡辺四郎)

明治44年(1911)
○ハンブルクの名所エルベトンネルは大洋丸建造と同年の明治44年に完成した。ハンブルク市と自由区とを連絡する交通路で、エルベ河底16mを通り長さ448m、高さ6米、両端はエレベータで人も自動車も上下する、わが関門トンネルの先駆である。
(「世界地名事典4」 平凡社 1950 p250 石井逸太郎)
posted by 梨木歩登志・深井人詩 at 15:32| Comment(0) | 明治時代〜戦後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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