昭和7年(1932)
○横浜解纜からロサンゼルス到着までの選手団の行動を、『アサヒ・スポーツ』掲載の船中通信により紹介。7月1日:朝6時、船員が洗浄した水だらけの甲板の上を、お下げ髪に水兵服の女子選手が一人で足の練習。他の誰もがまだ起きない早朝に一人精進しているのは女子水泳トップの前畑嬢。レスリングの加瀬5段などが駆け足を始める。6時半になると拳闘のファイトマネジャーに率いられた5選手がデッキ回りの練習、特に亀岡選手の熱心さが目立つ。その他選手も思い思いの練習を行い、7時には朝食。AKの3アナウンサーはラジオ体操を聞くためラジオ前に集合。この日、空はやや曇ってはいるが波は穏やか。船は横浜から350海里。時速16海里でロサンゼルスに向かっている。7月8日:船は南に3000海里航行。暑さが加わり時に驟雨のため練習が妨げられる。女子陸上競争チームはバトンのタッチに村岡・柴田の2嬢が進境を示す。女子陸上競技選手は五輪で勝つまで菓子断ちを決定。女子水泳では前畑嬢が200mブレストで、短いプールながら2分59秒のタイムを出した。(甲板での集合写真2枚あり:全員、レスリングチーム)
(「第十回オリンピツク大寫眞帖」 帝国公民教育協会 1932 p14)