2015年06月22日

今日の新着(2)

新しい記事を「大正11年」に追加しました。

大正11年(1922)
○WWT終結後、各国が競って太平洋海運を強化。競争激化により東洋汽船は苦境に追い込まれた。T11.09.29株主総会で浅野社長陳述。「桑港線については、相手は当社の船より1日早く出帆、2〜3日も早く入港する。よって、客も荷物も船室および容積が半分にも満たない有様。相手の大型船は当方より3ノット速いので、太平洋を3〜4日速く渡れ、船も新しいから、今の日本の商船会社では太刀打ちできない。相手は米政府・船舶院の船であり、アメリカ国家と競争しているようなもの。政府の力で、2.5万〜3万総トンの船を、シアトル・タコマの方へ3隻、桑港の方へ3隻回していただきたいと思っている。」ただし「ホノルルに寄る当方は3等客は案外減らない。」
(「東洋汽船六十四年の歩み」 中野秀雄 1964 p185)

大正11年(1922)
当社としても一生懸命であった。桑港線の各船は機関を調整して概してシー・スピードを16浬以上にしていた。左表が実際の航海速力である。
 大洋丸:3390・8.17.52・16.15/2090・5.8.53・16.21
 天洋丸:3394・8.23.18・15.76/2096・5.16.16・15.38
 春洋丸:3390・8.20.27・15.96/2092・5.3.39・16.92
 これや丸:3394・8.13.38・16.50/2093・5.6.12・16.58
 さいべりあ丸:3390・8.20.45・15.94/2102・5.8.10・16.40
 (数値:横浜ホノルル間距離・航走日時・1時間平均速力/ホノルル桑港間距離・航走日時・1時間平均速力)
(「東洋汽船六十四年の歩み」 中野秀雄 1964 p186)
posted by 梨木歩登志・深井人詩 at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 新着案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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