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昭和7年(1932)
○遠征の日を前に朗らかに多忙な女流選手たち、昨夜は洋食のたべ方練習の陽気な晩餐会
(「東京朝日新聞 16582」 1932.6.26日刊 p11)
昭和7年(1932)
○選手歓送第二回オリムピツク列車、横浜埠頭で大演奏会並に大合唱。オリンピック派遣選手の、各選手および体育協会本部役員ら104名は新興日本の堂々たる陣容を整えて、30日(木)午後3時横浜出帆の大洋丸で晴れの首途につきます。本社は遠征選手の健闘を激励し、その勝利を祈るため前回同様横浜臨港特別列車第二回オリムピツク列車を仕立て横浜港に栄ある選手の鹿島立ちを見送り、埠頭において府立第一商業生徒のバンドによる本社のオリンピック応援歌の大演奏及び来会者の大合唱を捧げて代表選手を歓送致します。左の規定により一般読者諸君の参加を希望致します。(往)午後零時10分東京駅発、同零時54分横浜港着(途中無停車)、(復)午後3時43分横浜港発、同4時27分東京駅着(品川駅停車)。参加申込は本社受付にて450名に限り往復特別乗車券(整理のため1枚30銭)を発行致します。主催東京朝日新聞社
(「東京朝日新聞 16582」 1932.6.26日刊 p11)
昭和7年(1932)
○オリムピツク第二陣愈々あす船出、各送別会をのぞく
(「東京朝日新聞 16585」 1932.6.29日刊 p7)
昭和7年(1932)
集合写真。六月三十日横浜を解纜した大洋丸船上に於ける日本チーム(男子陸上競技及男子競泳を除く)。
(「第十回オリンピツク大寫眞帖」 帝国公民教育協会 1932 ノンブル不明)
昭和7年(1932)
○海洋丸便り、勝つまではお菓子廃止、女子選手の意気込み
(「東京朝日新聞 16595」 1932.7.9日刊 ノンブル不明)